沖国大創立時の「難産」語る 大濱信泉氏の音声新発見

沖縄国際大ビル竣工式典で祝辞を述べる大濱信泉氏(一部トリミングしてあります)=72年9月22日(同大提供)
沖縄国際大ビル竣工式典で祝辞を述べる大濱信泉氏(一部トリミングしてあります)=72年9月22日(同大提供)

 石垣市出身の法学者で、元早稲田大学総長の大濱信泉氏(1981~76)が73、74年に開かれた沖縄国際大学の式典に出席した際の音声と写真が新たに発見された。音声では、72年に既存の大学2校が統合して同大が誕生した際、仲介役として奔走した経緯を振り返り「(自分は)産婆役だった)「流産させようと思ったこともあった」などと語っている。3日、前津榮健学長が石垣市教育委員会を訪れ、音声と写真のデータを﨑山晃教育長に贈呈した。

 同大の前身は米国統治下にあった私大の沖縄大学と国際大学の2校。72年、沖縄の日本復帰時に両大の教職員数や施設が本土の大学設置基準を満たさないことが分かり、政府とも関係が深かった大濱氏が私大存続に向けて統合を持ちかけた。
 両大は統合に当たり、政府から10億円の補助金、日本私学振興財団から4億4千万円の長期融資を受けたが、その際も大濱氏が政府への働き掛けを行うなど影響力を発揮した。
 沖縄国際大は今年2月に創立50年を迎えたが、前津学長が「大濱先生の功績が県民や市民にあまり知られていない」と憂慮。同大に残された大濱氏関連資料を発掘した。
 その結果、73年9月22日の同大ビル竣工式典、74年9月28日の同大竣工式典に出席した際、大濱氏が述べた祝辞の音声がオープンリールに保存されていたことが分かった。当時の写真も見つかった。音声と写真2枚はこれまで公開されたことがないという。
 大濱氏は73年の音声で「(2大の統合を)流産させようとかと思ったこともしばしばあった。苦心を重ねたいきさつがあるので、このように立派な施設が完成したのを目の当たりにして、喜びと共に感慨無量なるものがある」などと苦労話を明かしている。落ち着いた口調が人柄をしのばせている。
 前津学長は「当時、沖縄の私大をどうするか、マスコミや政治を巻き込んで議論があり、中心にいた大濱先生の悩みが大きかったと感じた。資料を読むことで先生が尽力したことは分かったが(音声を聞き)当事者でないと使えない言葉だと思った」と話した。
 﨑山教育長は、音声と写真を大濱信泉記念館に収蔵する考えを示し「記念館にはたくさんの資料があるが、音声は初めてだと思う。大濱先生の活躍を知ることができる新たな資料になる」と感謝した。
 同大は、構内に建立された大濱氏銅像の写真2点も贈呈した。

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