戦争マラリアを次世代に語り継ごうと、石垣字会(森永用朗会長)は16日、「沖縄戦後75年 石垣住民避難地追体験」を市内で実施した。字会員ら約40人が参加し、戦争当時に思いを馳せた。
同会によると、1945年6月1日~10日までに指定場所に避難するよう軍命があり、石垣1町内から4町内までの老人や子どもら住民が現在のバンナ西側にある外山田地区カーラフターゼに避難したという。
イベント参加者らは県道208号線のバンナ公園西側入口から150㍍ほど名蔵方面に下った地点から山道に入った。
川沿いを10分余りかけて登って行き、当時の避難場所である開けた場所に到着。近くの東屋に集まり、戦没者に黙とうを捧げてから、体験者らの語りに耳を傾けた。
マラリアで母親を亡くし、自身も罹患した石垣康子さん(85)は「軍医が注射をしに各家を回っていたが、父は『この子一人さえ生きてくれれば』と言ってくれた」と振り返り、「マラリアはコロナより怖い。いつまでも平和が続くよう祈っている」と祈念した。
米軍機の攻撃から逃れたこともあるという、講師の潮平正道さん(87)は、「夜、避難地に移動した時、道路に人がずらーと並んでいたので、『夜の銀座』と言っていた」などと、避難時の状況を説明。
戦争体験者の石垣英忠さん(88)は「人間はあんなにしても生きられるというほど苦しかった。戦争がないように努力しないと」、仲新城長公さん(87)は「特に水で苦労した。今が一番平和。スーパーに行けば何でも買える」と話した。
講師として同行した大田静男さん(73)は「石垣には戦跡が町中にある。もっと掘り起こして知るべき」と訴えた。
参加した岡山創哉君(石垣小2年)は「上に登ったらどんなのがあるのか、ドキドキわくわくして登った」と振り返り、「今は戦争がないのでよかった」と話した。
森永会長は「追体験して若い人たちに当時のことを理解してもらい、後世に語り継いでいきたい」とイベント実施の意義を強調した。
同会による避難地追体験は戦後70年の2015年以来、2回目。