西表島のマエドマリは内離島・外離島に囲まれた場所で、風や波の影響が少ない。帆船で貿易を行っていた時代には停泊地として最適な場所だったと思われる。
海岸や海底には近現代に至るまで多くの遺物が散布しており、相当な年月に渡り船の往来や人の利用があったとうかがえる。なお、近くには15世紀から18世紀頃の集落跡と考えられている上村遺跡がある。
一方、前回紹介した「正保国絵図」には港として記載されていない場所なのが宮良湾だ(写真1)。
周辺にグスク時代から近世・近代の集落遺跡が多く散布しており、台地上には石垣島を代表するフルスト原遺跡(国指定史跡)があることなどから、港として利用されていたものと思われる。実際、海岸や海底には陶磁器類が散布している。中国産の青磁も宮良湾の海底で確認されている(写真2)。
(写真提供=沖縄県立埋蔵文化財センター。同センター調査報告書第52集「沿岸地域遺跡分布調査概報Ⅱ ~宮古・八重山諸島編~」の記事を再編集いたしました)