2006年春夏の甲子園で八重山商工のエースとして躍動し、住民の心を震わせた日々から16年。石垣市出身のプロ野球選手・大嶺祐太(34)が27日、野球人生に一つの区切りをつけた。大嶺に声援を送り続けた地元・八重山の関係者からは「八重山の誇り」「お疲れさま」とねぎらいの言葉が相次いだ。
少年野球の八重山ポニーズと八重山商工で監督を務め、同校を春夏連続の甲子園に導いた大嶺の恩師・伊志嶺吉盛さん(68)。引退の報に「よくやってくれた。お疲れさまと言いたい」とたたえた。
少年野球時代の大嶺について「活発な子ではなかったが、負けず嫌いだった。学年が上がるにつれて、どんどん成長してくれた」と評価する。
「最も記憶に残っている」と語るのは、初めて出場した選抜大会初戦で、大嶺がいきなり17奪三振を記録した高岡商(富山)戦。「よくぞここまで来てくれたと思った」。
離島からの甲子園出場という話題性ばかり先行したが、大嶺の好投もあり、八重山商工は甲子園で通算3勝2敗と勝ち越した。
伊志嶺さんは大嶺に対し、技術だけでなく、強いメンタルの保ち方や礼儀作法までも根気強く指導した。大嶺がプロの世界に身を置いてからも、愛弟子の活躍を知ることが生きがいの一つ。大嶺からも電話でこまめに連絡があったという。活躍を続ける姿に「八重山の野球史を変えてくれた」と絶賛した。
大嶺と高校時代にバッテリーを組み、共に甲子園を経験した同級生の友利真二郎さん(34)は「祐太がチームにいるだけで雰囲気が和んだ」と大嶺の人柄を明かす。
チームメイトとして大嶺の速球を受け「圧倒的だった。これがプロに行く投手の球かと驚いた。彼と野球ができてうれしかった」と振り返った。
八重山から初の甲子園出場を実現するため、市民レベルで熱心な活動を続けた「夢実現甲子園の会」の高木健会長(78)。引退のニュースを聞いてすぐ大嶺に電話をかけた。「この島の人たちに夢と感動を与えてくれた」と感謝を伝えると、大嶺は「ありがとうございます」と元気な声で答えたという。
高木さんは「石垣島から甲子園に初めて出場し、厳しいプロの世界でもよく頑張ってきた。石垣島、八重山の誇りだ。彼と歩いてきた時代を振り返ると、胸が詰まる」と感無量の様子だった。