在沖米海兵隊は7日、普天間飛行場(宜野湾市)で報道各社向けにMV22オスプレイの体験搭乗を行い、八重山日報の記者も参加した。従来のヘリに比べ速度や輸送力が増し、固定翼機にはない垂直離着陸の能力を持つオスプレイは、有事や災害への高い対応能力が期待される一方、基地反対派からは安全性に懸念があるとして配備に根強い反発の声もある。軍用機であるため、メディア関係者も含め、軍関係者以外の一般人は搭乗する機会が少なく、2012年の普天間飛行場配備から10年以上経過しても、イメージ先行で語られることが多い機材だ。
体験搭乗に参加したのは県内外のメディア関係者約20人。米軍の担当者から鼓膜を保護するためのイヤーパッドを受け取り、普天間飛行場の駐機場でスタンバイしている2機のオスプレイに近くと、轟音と強風にさらされた。メディア関係者は2機に分乗し、北部訓練場(東村、国頭村)を目指した。
離陸直後の上昇はスムーズで、開放されたバックハッチから見える景色があっという間に遠くなる。オスプレイの内部は、以前に体験搭乗したことがある自衛隊のヘリと似たような構造で、乗り心地も大差なく、オスプレイだからという特別感はない。景色が急角度で変わるので、機体の操縦が機敏に行われていることが分かるが、揺れはさほど激しくない。飛行には終始、安定感があった。
商業用の乗り物ではないので、旅客機のような快適性はもちろんないが、通常の軍用ヘリや固定翼機と同様、与えられた任務は着実にこなす機材という印象がある。
機体は市街地を避け、主に海上ルートで飛んだが、バックハッチから見える海や周辺の陸地の形状がみるみる変化するので、かなりの速度が出ていると推測できた。普天間飛行場から北部訓練場まで、つまり沖縄本島中部から北部まで車だと通常、2時間はかかると言われるが、オスプレイでは約20分後に到着。機体から降りると、軍関係者が「早いでしょう」と誇らしげな笑顔を見せた。オスプレイのパワフルさを思い知らされた。
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米軍基地に足を踏み入れると、兵舎や格納庫などが建ち並び、一つの街のようだ。張り紙や看板はすべて英語、行き交う人もほとんど米軍人で、雰囲気は完全に米国。沖縄にとって「一番近い外国」が米軍基地であると実感できる。普天間飛行場が撤去されれば宜野湾市の中央に広大な跡地が出現するので、市には跡地利用の夢が広がる。本来、名護市辺野古への移設を急がなくてはならないが、歴代県政の抵抗もあり遅れ、普天間飛行場の返還は早くて2030年代とされている。
沖縄戦による占領から始まった米軍基地の歴史を考えると、県民が米軍基地に複雑な感情を抱くのもやむを得ない。だが、世界最強の米軍と米国人のコミュニティが身近に存在する現実は、沖縄にとって一つの資産にもなり得る。官民のレベルで米軍基地との交流を進め、相互理解が深まれば、国際交流と住民の英語力養成、事件・事故の防止にも役立つはずだ。沖縄では反基地感情ばかりクローズアップされ、基地があることを逆手に取った取り組みが今ひとつ表に出てこない。
玉城デニー県政は、沖縄の「独自外交」を掲げ、最近では中国への傾斜が目立っている。一方で「一番近い外国」の米軍基地とは疎遠なままだ。米軍基地の整理縮小や県民の負担軽減を目指すのは知事として当然ながら、同時に「一番近い外国」との積極的な意思疎通を進めれば、対中接近などより「県益」に資するところは大きいのではないか。