【視点】墜落事故 人命の尊さに思い馳せ

 米空軍のCV22オスプレイが屋久島沖で墜落した事故は、搭乗員8人の死亡が認定される大惨事となった。沖縄県議会など県内各自治体の議会は抗議決議などを可決し、米軍はオスプレイ全機種の飛行を停止した。事故の波紋は世界的な広がりを見せている。
 石垣市議会でも、野党が機体の安全性が確認されるまでの飛行停止を求める意見書を提案。審議の段階で与党側から、死亡した乗員に対する哀悼の言葉を加えるよう求める意見が出た。野党も応じて文言が修正され、全会一致での可決になった。
 一方、県議会の抗議決議と意見書を読むと「沖縄県民はもとより、日本国民に大きな不安と恐怖を与える」「もはやオスプレイは安全な航空機とは言い難い」と激しい言葉が並ぶが、死亡した乗員への哀悼の言葉は見当たらない。
 オスプレイの飛行が日常化している沖縄本島と、そうではない離島との温度差があるのかも知れない。だが私たちは、改めて人命の尊さに思いを馳せるべきだ。死亡者や遺族の無念を思うと、ウチナーンチュの1人として、むきだしの怒りのみに終始した決議文には一種、残念な思いもある。
 岸田文雄首相はバイデン米大統領に弔意書簡を送り「在日米軍関係者が故郷や家族を離れ、遠い地で日本や地域の平和と安全を維持するため、日夜任務に励んでいる」ことに感謝。死亡した乗員がこれまで日米同盟へ献身してきたことにも謝意を示した。
 死亡した乗員は20代から30代とまだ若く、パイロットや医師として最前線で活動しており、それぞれに家族もいた。在沖米軍に対しては県民に賛否両論あるが、少なくとも彼ら自身としては日本やアジア地域の平和を守るという使命感を持ち、過酷な任務や訓練にチャレンジしていたことは想像に難くない。
 事故を非難するあまり、彼らが「危険な乗り物を操作して県民を脅かしていた兵士たち」のようなイメージで見られるようなことがあってはならない。
 中国などの軍事的脅威が増大する中、既存の国際秩序を安定させようとする日米の世界戦略と、騒音や事件・事故の被害にさらされる沖縄県民の軋轢(あつれき)が続いている。基地負担は誰の目に見える形で表れるため、県民の不満は募りやすい。基地の整理縮小に向けた道筋をつけるべきなのは当然だ。
 だが一方、中国などへにらみを利かせる米軍の活動によって、沖縄の平和が維持されている一面も否定はできない。だが「抑止力」と呼ばれるそうした働きは、なかなか理解されにくい。特に今回のような事故があると、基地の負の側面のみが喧伝される現状があるのも事実である。
 今回の事故を契機にオスプレイが「欠陥機」だとして沖縄からの撤去を求める声も、こうした流れの中で強まっている。だがオスプレイに構造上の問題があるならば、それを改善し、安全対策を確立した上で、時間がかかったとしても飛行再開につなげればいい。技術の進歩とは、そうしたものだ。
 オスプレイが軍用機であることが撤去という極論の主張につながっているのなら、それは先入観や偏見と呼ぶほかない。オスプレイをやめて旧来のヘリに戻ったり、一切の軍用機の飛行を拒否しても、問題の前向きな解決にはつながらないだろう。
 今回の事故は、県民と基地の向き合い方の難しさを改めて浮き彫りにした。それだけに県民は極論に流されず、冷静に事実と向き合いながら、沖縄の平和を維持する方策を模索していく必要がある。

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