【やいまぴとぅここにあり⑦】中古物件もピカピカに クリーンガード代表 冨底克彦さん(53)

 40代にして県内大手企業を退職し、独立開業の道を選んだ。現在はハウスクリーニングやフロアコーティングなどを請け負う「クリーンガード」(那覇市)を経営している。サラリーマン当時と違い、時間の融通がきくようになり、故郷の波照間島に「定期的に戻れるようになった」と喜ぶ。
 1970年2月、波照間島生まれ。波照間中時代は三段跳びの選手として活躍し、県大会優勝も経験した。兄の利一さんも陸上の選手で、一足先にスポーツ推薦で豊見城高校に進学。「どうせ島を出るなら、兄と同居したほうが経済的な負担も軽減できる」という理由で、同じ豊見城高を進学先に選び、沖縄本島に出た。
 琉球大法文学部に進み、卒業後の1994年、県内大手のスーパー、サンエーに就職。創業者が同じ離島である宮古島出身の折田喜作氏であることに親近感を持ち、入社を決意した。
 琉球大の同期は多くが公務員、沖縄電力、大手銀行などを就職先に選び「スーパーに就職したのは当時、珍しかった」という。
 鮮魚を取り扱う部署に配属され、サンエー石垣シティがオープンした際は「八重山出身だから」という理由で1年間、石垣市に転勤したことも。23年間サンエーで勤務し、鮮魚を中心とした商品の仕入れや、県内各地にある店舗の指導などに当たった。
 プライベートでは同僚の里奈さん(51)と結婚し、一男一女に恵まれた。
 だが「定年までサラリーマンをやる気はなく『いつか独立したい、自分にできる仕事は何か』と考えていた」。勤務歴23年となった2017年、47歳の時に転機は訪れた。
 インターネットや専門誌で情報収集し、かねて関心があった清掃業の世界で独立を決意。サンエーを退職した。当初は本土大手フランチャイズ店の加盟店として運営したが、2020年には個人事業所として「クリーンガード」を設立。那覇市の自宅を事務所兼用の拠点とした。
 仕事内容は多岐にわたる。中古戸建やマンションを売買したい個人、事業所、不動産業者から依頼を受け、建物の内部を丹念にクリーニング。なるべく建築当時の原状に近づけることで「商品」としての建物の価値を高める。また個別の依頼内容に応じ、浴室、キッチン、洗面所の汚れ落とし、フロアのコーティング、カビ取りなどに取り組む。
 3LDKの建物だと、雇用しているスタッフと2人で清掃に丸一日かかることもある。「細かいところまで行き届く清掃を目指す。安かろう、悪かろうの仕事はやりたくない。丁寧に仕上げ、中古物件でもピカピカにしていく」と仕事の極意を話す。
 「困っている人の相談を受け、汚れているところをきれいにする仕事。結果が目に見えて分かる。『見違えるようになった』『キッチンを取り替えようと思っていたが、必要なくなった』と喜んでもらえるのがうれしい」。
 サラリーマン時代は仕事が忙しく、波照間島には「1年に1回、帰れるか、帰れないかくらいだった」が、独立後は年3~4回の帰省が可能になった。島では母、初枝さん(85)が健在で、親子の時間も増えた。
 旧盆と豊年祭が合わさった島最大の行事「ムシャーマ」にも本島の郷友として毎年、参加するようになった。「島に帰れるようになったのが、独立して一番良かったこと。ムシャーマには子どものころ以来、30年ぶりの参加だったが、島の人と一緒にいろいろな作業ができて楽しい」と、島への思いも強まっている。
 企業人として脂がのる50代半ばの年代に達した。「将来的に、さらに事業を拡大できれば」と意気込む。「自分も子どものころには、島から大きいところに出たいという思いがあった。島の子どもたちもチャレンジ精神を持ち、一度は大きなところに出てほしい」と後輩にエール。「これからも沖縄本島から故郷の島を支えたい」と力を込めた。

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