【やいまぴとぅ ここにあり⑨】「沖縄を持ち歩く」テーマに テキスタイルデザイナー MIMURI(儀間美和子さん)(43)

「MIMURI」ブランドのバックを持つ儀間さん=那覇市松尾

 「沖縄を持ち歩く」をテーマに、南国らしい色彩感豊かなデザインの雑貨を製作。自ら立ち上げたブランドで、店舗名でもある「MIMURI(ミムリ)」は石垣島白保にある実家の屋号から命名した。
 1980年、自営業の宮良博文さん、久美子さん夫妻の長女として白保で誕生。4人きょうだいの家庭で育った。幼いころから手芸が好きで、熱心にぬいぐるみを作るなど「自分がイメージしたものが形になる」ことに人一倍喜びを感じ、早くも後年の仕事を予感させた。
 幼少時代、一家は仕事の関係で平得に移住。自身は平真小、大浜中、開邦高(南風原町)を経て「もの作りの仕事がしたい」と東京の女子美術短大に進学した。
 アルバイトをしながら洋服やバッグのデザインにチャレンジ。作品を店舗においてもらったり、個展などのイベントで販売する取り組みも始めた。
 当初は幾何学模様を中心にデザインしていたが、長い都会生活のあと、久しぶりに帰省した石垣島で「自然のパワー」に衝撃を受けた。沖縄や八重山の自然をテーマに描こうと決心。大学卒業後、石垣島を拠点に創作活動を開始した。
 祖母宅の庭で見た野鳥のシロハラクイナやアカショウビン、浜辺のセマルハコガメ、咲き誇るハイビスカスやブーゲンビリア…。あらゆる自然がインスピレーションの源になった。
 「沖縄を持ち歩く」というテーマも、そのころライフワークとして固まった。沖縄の光に照らされた風景、建物など「目で見て手で触れたものたち」を題材に、オリジナル柄のカラフルなポーチ、財布などの作品が次々と生まれた。
 「沖縄を訪れた人の旅の思い出でもいいし、沖縄に住んでいる人が『この風景はよく見る』という気持ちになってもいい」と作品のコンセプトを説明する。
 「MIMURI」というブランドも「(宮良家に生まれたという)アイデンティティを大切にしたい」という思いから選択した。
 デザインした作品は東京などで販売。取り扱ってもらえる店舗も徐々に増えた。20代の大半は石垣島で創作に励んだが、新しい可能性を求め、30歳を前に2008年、沖縄本島に移転。11年には那覇市松尾に現在の店舗兼アトリエを構えた。
 バッグ、ポーチ、財布、洋服などの作品は観光客の需要が多く、店舗を設置してからはスタッフを雇用して量産体制を構築した。
 私生活では、アーティスト仲間で4つ年上の朝龍(ともたつ)さん=南城市出身=と30歳で結婚。子どもを持つことは特に意識していなかったが、40歳にして第一子となる女の子が誕生し、仕事と子育ての両立という新たな課題に直面した。
 ちょうど新型コロナウイルス禍の時期とも重なった。「仕事も子育てもいろいろな規制がかかり、本当に大変だった。何もかも初めてのことばかりだったが、がむしゃらに頑張った」と振り返る。
 コロナ禍を脱した今、現在の店舗は14年目を迎え、事業は好調に推移している。
 「MIMURI」のブランドをさらに発展させていく上で、母親となったことは創作活動に新たな深みをもたらしたようだ。「20代、30代の『自分探し』の時期ではなく、40代の今、子どもが生まれて良かったと思う」最近、祖母が亡くなり、石垣島に帰省。親戚と再会し、改めて八重山が「自分がいつでも帰れる場所」だと実感した。
 最近、故郷に関係する新たな仕事も決まった。県からイリオモテヤマネコ保護に向けた意識啓発事業の委託を受け、浦添市で開かれるヤマネコ関連ワークショップで講師を務める。
 「石垣島は私が大切にしているルーツ。本土の人から『どこの出身ですか』と聞かれると(沖縄ではなく)『石垣島です』と答える」。充実の40代を迎え「八重山人(やいまぴとぅ)」の意識はますます強まっている。

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