自衛隊の情報発信のあり方を巡り、沖縄県内のメディアから批判的な報道が相次いでいる。県民に大きな犠牲を出した沖縄戦当時の旧日本軍と、現在の自衛隊をあえて同一視する意図のようなものが感じられる。同じ県民の目線からも、生産性のない不毛な議論に映ってしまう。
陸上自衛隊第15旅団(那覇市)が、沖縄戦で旧日本軍を指揮した牛島満司令官の辞世の句をホームページに掲載し、識者から疑問視する声が出ていると県紙などが報じた。
第15旅団のホームページには、沖縄の日本復帰時、第15旅団の前身である臨時第1混成群の初代郡長を務めた県出身の桑江良逢氏の訓示が載り、最後に牛島司令官の辞世の句「秋待たで枯れ行く島の青草は皇国の春に甦らなむ」を大きな文字で引用している。2018年から掲載しているという。
牛島司令官は沖縄戦末期、当初司令部を置いた首里から南部への撤退を決断。北部に避難できなかった住民が戦闘に巻き込まれ、多くの犠牲を出した。
県内メディアによると、自衛隊が牛島司令官の辞世の句をホームページに掲載していることは旧日本軍と自衛隊の一体化、さらには皇国史観を示すものという指摘が識者から上がっている。
この件は国会でも取り上げられ、木原稔防衛相は4日の参院外交防衛委員会で「沖縄の本土復帰直後の歴史的事実を示す資料として部隊の沿革を紹介するホームページに記載している」と説明した。第15旅団は辞世の句を削除しない考えを示した。
牛島司令官は沖縄で毀誉褒貶の多い人物だとしても、戦後約80年を経た現在、「辞世の句」掲載をもって、自衛隊が旧日本軍のような組織に変質していると断じる論理は理解しがたい。
旧日本軍は天皇の軍隊という位置づけだった。自衛隊はシビリアンコントロール(文民統制)のもとにあり、組織の性格が根本的に異なる。個々の自衛隊員の思想はどうあれ、旧日本軍的な暴走は法制度の上から有り得ない。
戦後、国土防衛と災害対処に黙々と汗を流してきた自衛隊の姿を見てきた県民は、当然そのことを知っているはずである。まして「辞世の句」掲載から6年も経過し、その間、何の問題も起きていない。
牛島司令官が自決したとされる日は沖縄の「慰霊の日」となっている。陸自が辞世の句を「歴史的資料」としてホームページで紹介するのは、一般的な感覚からしても特異なことではない。
自衛隊と旧日本軍の「連続性」「一体性」をことさらに強調することで、県民の自衛隊への警戒心や反感をあおる意図が存在するのではないか。一連の報道を見ると、そう感じざるを得ない。
台湾情勢や尖閣情勢など、現在の沖縄を取り巻く安全保障環境は厳しく、脅威から沖縄をどう守るかが喫緊の課題だ。自衛隊について考えるなら、自衛隊をより力強く、即応能力がある組織にするため何が必要かという視点でこそ活発な議論をしたい。
陸上自衛隊石垣駐屯地が災害対応訓練の一環として地元のハーリーに参加する方針を示したが、これも陸自の情報発信の一つと言える。
市民団体は「伝統行事に軍事訓練で参加するのは認められない」と反発し、参加中止を要求した。
昨年3月開設された石垣駐屯地は石垣島まつりでパレードを行い、今年の石垣島マラソンでも一翼を担うなど、積極的に地域に溶け込む姿勢を示している。
自衛隊を社会から隔離することには何のメリットもない。むしろ地域との密接な関係性構築こそが、有事や災害対処には大きな力となる。隊員には今後とも堂々と、地域の各種行事に参加してもらいたい。