「風化させることなく、年1回の活動を」 川平で宮崎疎開事件を考える集会

宮崎疎開事件を考える集いが開かれた=13日、川平農村集落センター

 太平洋戦争末期、川平で起きた「宮崎疎開事件を考える集い」(同実行委員会主催)が13日夜、川平農村集落センターで開かれ、体験者らが同事件について語った。戦争体験者は「疎開していたら海の藻屑になっていたかもしれない」と当時を振り返った。

 同事件は1944年11月13日、旧日本軍が川平に特攻艇基地を設けたことで、「60歳以上の老人及び婦女子、15歳未満の者は、全員宮崎へ疎開せよ」と住民が命令を受けたもの。住民の交渉の結果、川平湾が見えないよう柵を設置する事で宮崎疎開は撤回されたという。
 戦争体験者の南風野節子さん(85)は、鉛筆を大事に使って勉強をした経験など苦労話を紹介。
 同疎開事件について、「もし疎開していたら、対馬丸にように海の藻屑(もくず)になっていたかもしれない」と語った。子どもだった当時の節子さんは、宮崎に行けると喜び、「さらば川平よ」など歌っていたエピソードも明かした。
 郷土史家の大田静男氏は、疎開事件に関する研究成果を報告した。宮崎疎開が撤回された理由について、「住民が出て行くと誰が食料を作るか。作れない。宮崎疎開という強行的なものは取りやめざるを得なかった」と分析した。
 実行委員の仲本英克委員長は会の冒頭、同事件が記された『川平村の歴史(川平公民館編)』を読み上げ、「疎開事件を風化させることなく、年一回の活動をしていきたい」とあいさつした。

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