船舶の安全を祈って2000年に尖閣諸島(石垣市登野城)の魚釣島に建立された尖閣神社の移設・再建にともなう遷座・竣工(しゅんこう)の奉祝祭が17日午前、同市桴海の同神社鎮座地で行われた。参列した関係者ら約60人が本殿へ祭神が移り、日本西端の守りと祈りの要所が完成したことを祝った。
同神社の祭神は天照皇大神と日本武命で、奉祝祭は堺神社(茨城県)の滑川裕二宮司、朝峯神社(高知県)の野村尊應宮司、多賀神社(長野県)の村上典孝宮司により執り行われた。
祓いの儀式「修祓」(しゅばつ)にはじまり、祭神に祭りを見てもらうために本殿の扉を開く「開扉」、供物を捧げる「献饌」(けんせん)に続き、滑川宮司による祝詞奏上が行われた。昭和女子大学4年の松田陽菜子さん(22)による「浦安の舞」、宮司らによる「玉串拝礼」の後、堺神社の氏子など、参列した関係者らが一人ずつ玉串を捧げた。
尖閣神社奉賛会の出口義孝会長があいさつし、「尖閣神社を再築し、今日の竣工を迎えられたことは、後世の国民である我々の孫や曾孫、玄孫の時代にも語り継がれると思う」と強調した。
尖閣神社は00年4月、尖閣周辺海域での航行の安全祈願を目的として魚釣島への祠の設置と、滑川宮司が行なった大祭により建立されたが、08年に祠が破壊されて以降、社の無い状態が続いていた。
今回再建された尖閣神社は、滑川宮司が方位学の見地も取り入れ、「石垣市桴海大田273―170」に定められ、奥宮には修復された祠もおさめられた。本殿を正面から拝した場合、本殿の約160㌔先には魚釣島が位置する。
滑川宮司は「神様が宙に浮いていた状態だったので、鎮まっていただくための場所を探していたが、10年かかった。皆さんの協力で、やっと安らかな御座所ができた」と喜び、「富士山信仰の場合、本宮は富士山の頂上。そこまで行くのが難しいから、浅間神社のような遥拝所がある。この尖閣神社も同様の意味がある」と述べた。