当時、国後と色丹には墓参団が入っていたけど、択捉には入れなかった。というのは、択捉の先はベーリング海を挟んだアラスカ(米)で、米ソ冷戦の最前線だった。択捉には防空軍基地もあり、最新鋭戦闘機・ミグ29なども配備されていた。
軍事上極めて重要な地域だったから、民間のロシア人でも特別入境許可が必要な地域だったんだ。ソ連側は〝墓なんか存在しない″と言っていたが、本当は軍事的理由でそう言っていただけだ。
でもタイミングと言うのは不思議なもので、ソ連崩壊直前の混乱時ということもあったろう、国営テレビのハバロフスク支局長から「入るなら今だ」と連絡が入った。ソ連へ飛び、サハリンスク州政府と直談判でき、ようやく許可が下りた。戦後初の日本人ジャーナリストとして、1990年の5月、択捉島上陸を果たすことができた。
日本人島民の墓を探すことも目的としてあった。ソ連側は〝墓はすでに風化して存在していない〟と主張していたが、この島で僕は、二十数個の墓石を見つけることができた。その結果、朝日新聞などでも大きく報道され、僕の択捉訪問から2カ月と18日後に、第1回択捉墓参団が結成された。
(敬称略、聞き手・里永雄一朗)
[プロフィール]
山本皓一(やまもと・こういち) 1943年、香川県生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒。雑誌の写真記者を経て、フリーランスのフォト・ジャーナリストに転身。独裁国家の北朝鮮、崩壊直前のソ連、日本の国境の島々を踏破するなど、世界各国をルポルタージュしてきた。日本写真家協会とペンクラブの会員。