竹富島の種子取祭で芸能が奉納された初日の20日夕方、最後の演目「曽我兄弟」が迫力たっぷりに演じられ、終了後も観客の興奮が冷めやらぬ中、世持御嶽の神前では、神司や有志らによるイバン(九年母の葉)戴みの儀式が執り行われた。その後、一行は種子取祭を統一したといわれる根原金殿をまつる根原家(ネーレ)に移動し、ユークイ(世乞い)が始まった。ユークイはその後、西、東、仲筋の三集落に分かれ、深夜遅くまで各家々を回った。
このうち西集落の上間家でのユークイは、大勢の観光客も加わり、祭りの雰囲気も最高潮に達した。ドラや太鼓を打ち鳴らしながらユークイの唄をうたう光景は、種子取祭のクライマックスともいえる。
家主の上間毅氏は、ガーリをする時に孫たちが大勢に担ぎ上げられている姿を見て目を細めていたが、これも子どもを大切にする竹富島ならではの光景だ。
上間氏は「先人たちは当たり前のこととして、自然体で一致団結して種子取祭を守ってきた。この気持ちが若者たちに受け継がれて、島を守っていってほしい」と熱く述べた。上間氏は種子取祭への貢献が大きいとして、竹富公民館(内盛正聖館長)から表彰を受けている。
夜の10時に石垣島行きの臨時便が運航され、ユークイに参加した観光客らに利用された。
(隅田賢通信員)