1771年の「明和の大津波」に関する古文書で「津波によって引き流された」と記述されている石が、石垣市大浜地区にある国指定天然記念物「津波大石」であるとの新説を、琉球大工学部の仲座栄三教授(62)が20日までに発表した。津波大石は従来、明和の大津波とは別の2千年前の大津波で流されたとの見方が定説になっており、仲座教授の新説は、それを覆すものになる。
「津波大石」は大浜の海岸近くにある巨石で、付着したサンゴの年代測定が2千年前であることから、もともと海中にあり、津波で現在の場所に打ち上げられたと推定された。
従来、明和の大津波に関する古文書には津波大石に関する記述はないとされ、明和の大津波で津波大石は動いていないとする説が有力になっている。
仲座教授は、明和大津波関連の古文書「奇妙変異記」に着目。同書では、大浜村の「こるせ御嶽(黒石御嶽)」の中の一カ所に大きな石が二つ並んでいたが、津波でそれぞれ「大浜津口午の端」と「とふりや」という場所に引き流された、と記述されていると解釈した。
「高こるせ石」は津波大石の北方に現存し、国の天然記念物に指定されている。従来の定説では「大浜津口」の位置を海域と解釈したため、もう1個の石は海中に存在すると見られてきた。
仲座教授によると「奇妙変異記」の二つの石の位置に関する記述は、原本では判読不能で、これまでの研究者は各々の解釈で位置を特定してきた。仲座教授は文脈に合わせて「大浜津口」は現在の船着御嶽の側の入江・河口付近の陸上であると推定。定説で「大浜津口北の端」にある石が流された、と理解されてきた記述は「北」という文字が実は「午(南)」であり、石とは津波大石であるとの結論に達した。
新説によると、明和の大津波前、「こるせ御嶽」は津波大石から南に約150㍍下った海岸にあり「津波大石」と「高こるせ石」が「神聖な石」として並んでいたことになる。
石の年代測定でも、2つの石はともに約2000年前で一致しており、寸法も互いにほぼ一致。新説を裏付けているという。
仲座教授は「先島地方に発生した巨大津波は明和の大津波だけで、2000年前の津波は存在しなかったと推定される」と主張。「従来の定説では、明和大津波で津波大石は動かなかったとされたため、津波の規模が不当に縮小されてしまっている。明和の大津波の見直しを進めるべきだ」と訴えた。
一方で、一定の根拠を持って従来説を強く支持する研究者も多く、今後議論になりそうだ。
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津波大石 郷土史家の故・牧野清が命名した。牧野は明和の大津波による津波石と推定したが、その後、表面に付着したサンゴの年代測定の結果から、約2000年前の先島津波によって現在の場所に打ち上げられたとの見方が定説になっている。2013年、「石垣島東海岸の津波石群」の一つとして国の天然記念物に指定された。