【視点】「ゼロコロナ」は可能か

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、県独自の緊急事態宣言が出るなど、沖縄の状況も日々悪化している。通常なら観光客でごった返す那覇市の国際通りも人通りが途絶え、多くの店舗がシャッターを下ろし、まるでゴーストタウンのようだ。観光立県の沖縄で、こんな光景を見る日が来ようとは想像もしていなかった。
 石垣市の歓楽街・美崎町もひっそりと静まり返っている。竹富町の島々ではツアーキャンセルが相次ぎ、ほとんどの観光施設が休業に追い込まれた。甚大な経済的打撃は沖縄本島、離島のすべてに及んでいる。
 コロナ禍は終わりが見えない。政府は2回目、沖縄県は3回目の緊急事態宣言を余儀なくされた。この状況を招いた要因は何なのか。
 野党は菅義偉政権の責任を追及している。20日の衆院代表質問で立憲民主党の枝野幸男代表は「政治によって引き起こされた『人災』」と言い切った。
 政府の観光支援策「GOTОトラベル」について「感染が収まらない中で強行すれば火に油を注ぐことになることは、始めから心配されていた」と批判。感染を封じ込めたあとに経済を再開すべきだとして、新型コロナと共存する「ウィズコロナ」ではなく、新型コロナ撲滅を目指す「ゼロコロナ」への転換を求めた。
 一時的にせよ「GOTО」の恩恵が大きかった沖縄からすれば、この政策が袋叩きになっている現状には複雑な思いを抱く。「GOTО」はある意味、政争の具にされてしまっているのだ。
 感染予防策を徹底しながら、国内旅行を推進する。「GOTО」とは典型的な「ウィズコロナ」の取り組みだった。しかし野党が疑問視しているのは「経済と感染予防の両立」という考え方そのものだ。
 「ゼロコロナ」となると、感染予防を優先し、経済は後回しに転換せざるを得ない。感染拡大が第1、2波で止められず、かえって過去最大の第3波に至った反省から「ゼロコロナ」の考え方が今後、優勢になるであろうことは想像に難くない。
 そうなると、人の移動制限や営業自粛といった個々人への締め付けはさらに強まる。菅政権でさえ、その方向へのシフトが見て取れる。
 新型コロナウイルス特別措置法などの改正案では、営業時間短縮の命令を拒否した事業者や、入院を拒否した者への罰則を盛り込んだ。今後の状況によってはロックダウン(都市封鎖)のような措置も珍しくなくなるかも知れない。
 米国もバイデン新政権の発足で、経済重視から感染予防重視への軸足転換を鮮明にした。この流れが続けば、強権で感染拡大を抑え込む中国式のやり方が国際的なスタンダードになる可能性もある。「経済と感染予防の両立」とは、それほど悪い考え方なのか、悲しい気持ちになってしまう。
 「ゼロコロナ」が実現可能か問う前に、冷静に「第3波」を観察することも必要だ。第1、2波到来時との比較で最も感じるのは、国民の気の緩みである。
 11都道府県への緊急事態宣言の最中にも、全国では連日数千人の新規感染者が確認されている。これだけ感染拡大すれば感染は不可抗力の面もあろうが、多くの国民が「3密」回避などの指示を守っていれば、ここまで大勢の感染者が出続けるだろうか。沖縄でも県のたび重なる呼び掛けにもかかわらず、成人式後に宴会を開いて感染した例が報告されている。
 昨年12月後半からの八重山での感染急拡大も、沖縄本島渡航者の感染をはじめとして、会食や家庭内での感染が多かった。個々の住民レベルで、感染予防の意識が不徹底になっていることがうかがえる。
 企業の時差出勤やリモートワークも、さほど広がっているようには見えない。若者が感染しても重症化リスクは低いとされるが、若者の奔放な行動の結果、ウイルスが巡り巡って高齢者が感染すれば、結果として重症者や死者は増える。今はまさにそんな状況ではないか。
 菅首相のメッセージが弱いという批判が多いが、そもそもメッセージを受け取る側の国民の感度が鈍っている。それが「GOTО」のせいだというのはこじつけだが、「経済と感染予防の両立」を難しくしているのは国民自身だ。
 このままだと国民、県民は「ウィズコロナからゼロコロナへ」という呼び掛けを受け入れざるを得ないほど追い詰められてしまうし、その時の経済は、壊死状態に陥っているだろう。

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