先週お知らせした、多良間島北西部の高田海岸。難破したファンボッセ号は、上海からシンガポールに向かう途中だったとされている。沖縄県立埋蔵文化財センターでは、写真左奥に見える2つの岩の近くの海底で遺物を多数確認した。恐らく、この近くで座礁したのだと考えられる。
その1つが、中国産青花皿。絵付けが消えかけており、割れた部分が丸くなっていることなどから、海底で何度も摩擦を受けていたようだ。難破さえしなければ、欧州で高く売れていたろうに。
※さて、本コラムの連載が進むにつれ、幾つかの質問が寄せられるようになった。
多いのが「陶器が多いようだが、金銀財宝は見つかっていないのは何故なのか」。次に多いのが「そもそも、どんな船で交易していたのか」。来週以降、そうした質問に答えていきたい(写真提供=沖縄県立埋蔵文化財センター。同センター調査報告書第52集「沿岸地域遺跡分布調査概報Ⅱ ~宮古・八重山諸島編~」の記事を再編集いたしました)。