伊舎堂隊の精神たたえる 慰霊祭、来年で締めくくり

慰霊碑に献花する参加者=26日午前、南ぬ浜町

 1945年3月26日、陸軍特攻第1号として故郷の石垣島から出撃し、慶良間諸島沖の米艦隊に突入して沖縄戦の火ぶたを切った伊舎堂用久中佐(戦死時大尉、二階級特進)と隊員の慰霊祭(主催・同実行委員会)が26日正午から、石垣市南ぬ浜町にある顕彰碑前で開かれた。実行委はメンバーの高齢化などにより、戦後80年の節目である来年を最後に、慰霊祭を締めくくることにしている。

 この日の慰霊祭には関係者や、昨年3月開設された陸上自衛隊石垣駐屯地の隊員らが参列。実行委の上地和浩会長は式辞で「現代に生きる私たちは、平和で自由にものが言える豊かな社会に生きている。(その社会は)伊舎堂中佐や隊員をはじめとする多くの方々の願いを礎(いしずえ)にもたらされた」と述べ「悠久の大義」に生きた伊舎堂隊の精神をたたえた。
 中山義隆市長(代読)、市議会の我喜屋隆次議長(同)、大浜一郎県議(同)らもあいさつ。石垣駐屯地の井上雄一朗司令は「八重山のきれいな海と、そこに住む人々を守るため、二度と戦争を起こさないという誓いを胸に任務を遂行したい」と決意を新たにした。
 ドイツから日本に移住した元ドイツ空軍パイロットのメルレ・クラウスさん(72)、元航空会社CAの祐子さん(58)夫妻も参列。クラウスさんは「24歳の若さで亡くなったパイロットのために、多くの人たちが集まって思い出を語り合うのは感慨深い」と話した。
 夫妻は青いネクタイとスカーフという服装。「航空会社で青は憧れの色。伊舎堂中佐たちが最後に見たであろう沖縄の青い海の色でもある」(祐子さん)という。
 慰霊祭直前までは強い日差しの晴天だったが、儀式が始まるころには天候が一変し、横殴りの雨が降った。実行委の関係者は「慰霊碑を建立した時も雨だった。伊舎堂中佐の喜びの涙だと思う」と語った。
 参加者による献花、折り鶴の奉納もあった。
 夜には、全国の慰霊祭などに参加している和火師・佐々木巌氏(39)の協力で「祈り火」と銘打ったイベントが行われ、線香花火と打ち上げ花火の奉納があった。
 佐々木氏は「大切な人との気持ちは想像はできるが、どんな思いで飛びだったのか手を合わせながら鎮魂の花火を上げる」と厳粛な面持ちを見せた。

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