1945年3月26日未明、石垣島を出撃した島出身の伊舍堂用久中佐(当時24、戦死時大尉、二階級特進)率いる「誠第十七飛行隊」が慶良間諸島沖で米艦隊に特攻してから今年で80年の節目を迎える。伊舍堂隊の特攻は事実上、沖縄戦の火ぶたを切ったが、県内の報道や歴史教育では、特攻後に行われた米軍の慶良間諸島上陸が「沖縄戦の開始」とされ、伊舍堂隊の特攻はほとんど知られていない現状だ。
2013年に石垣市に建立された伊舍堂隊の顕彰碑前では同年から毎年、実行委員会による慰霊祭が挙行されてきたが、遺族や関係者の高齢化が進み、80年忌を節目に実行委の解散が決まった。実行委は「来年以降は他団体に引き継いでいきたい」としている。
沖縄戦の開始を巡り、米軍の沖縄上陸に比べ、石垣島から出撃した特攻隊の事績が知られていない現状について、事務局長の山森陽平さんは「沖縄を守ろうとした兵隊や民間人がいたことも事実。戦争の悲惨さも、特攻の事実も両方を語り継ぐべきだ。米軍の上陸やその後の被害という沖縄戦の悲惨な部分だけを強調するのは、過去を『選択』し、未来への責任を放棄することになる」と指摘した。
80年忌の慰霊祭は26日午前11時から、南ぬ浜町緑地公園にある顕彰碑前で開かれる。
戦後80年に当たり、26日は慶良間諸島の座間味村でも慰霊祭が開かれ、玉城デニー知事らが参列する。