知事、辺野古断念要求 戦没者追悼式で平和宣言

 沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で20万人超となった戦没者を追悼する「慰霊の日」を迎えた。県は最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で、恒久平和への思いを継承する「沖縄全戦没者追悼式」を開いた。就任後、初めて式典に臨んだ玉城デニー知事は平和宣言で、米軍普天間飛行場の辺野古移設断念を求め「工事を強行する政府の対応は、民意を尊重せず、地方自治をもないがしろにしている」と政府を批判した。
 平和宣言では、2月の県民投票で辺野古沿岸部埋め立て「反対」が7割超だったことも改めて訴え、県との対話に応じるよう要求。沖縄の方言と英語で「安心な世界をみんなで築くため、県民と努力する」と誓って締めくくり、反戦平和への決意を示した。

 一方、安倍晋三首相はあいさつで「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と強調。米軍基地の集中による県民の負担を指摘し「基地負担の軽減に向けて、一つひとつ確実に結果を出していく決意だ」と述べた。西普天間住宅地区跡地を挙げ「基地の跡地が生まれ変わる成功例として、県民に実感してもらえるよう土地利用の取り組みを加速する」と理解を求めた。
 式典には約5100人が参列、正午に1分間の黙とうが行われた。
 「平和の詩」朗読者に選ばれた糸満市立兼城小6年の山内玲奈さん(11)は、戦渦に巻き込まれることのない日常の尊さを訴えた。
 県遺族会連合会の宮城篤正会長は「今日の平和と繁栄は皆さんの尊い礎(いしずえ)の上に築かれた」と戦没者に語り掛けた。
 敵味方の区別なく戦没者名を刻んだ公園内の石碑「平和の礎(いしじ)」には今年、新たに42人が追加された。重複していた1人分を削除し、総数は24万1566人となった。
 1945年3月26日から始まった沖縄戦は、県民の4人に1人が犠牲になったとされる。日本の敗戦後、沖縄は72年に本土復帰するまで米国の施政権下に置かれ、基地が次々と建設された。今も国内の米軍専用施設の約7割が集中する。
 5月1日に天皇陛下が即位され「令和」の新時代になってから、初の式典となった。

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