特攻80年、平和誓う 伊舍堂隊を慰霊、実行委解散へ

終了後、参列者が写真を撮影した=26日、南ぬ浜町

 沖縄戦を前にした1945年3月26日に石垣島から出撃した同島出身の伊舍堂用久中佐(当時24、戦死時大尉、二階級特進)や部下の特攻隊員の霊を慰める慰霊祭(同実行委員会主催)が26日午前、南ぬ浜町公園の顕彰碑前で行われた。関係者約100人が参列し、伊舍堂隊を含む全戦没者を慰霊した。実行委は特攻から80年となる今年の慰霊祭を最後に解散し、来年以降の慰霊祭は他団体に引き継ぐ意向。

 伊舍堂中佐率いる旧日本陸軍の「誠第十七飛行隊」は80年前の3月26日、沖縄戦を前に慶良間諸島沖に展開していた米艦隊に特攻。石垣島からは、計31人の隊員が特攻を行った。現在は副隊長の石垣仁氏を含む計32人の名前が顕彰碑の台座に刻印されている、
 実行委の上地和浩会長は式辞で「日本の平和と繁栄のため、その礎になられた戦没者や犠牲者のご霊位に対し、衷心よりご冥福をお祈り申し上げる」と述べ、特攻から80年目となる同日に「慰霊祭を挙行でき、誠に万感の思い」と涙をこらえた。「特攻という未来ある若人を無下に輩出した最初の地、石垣市から世界が太平の世になることを強く願う」と祈った。
 伊舍堂家を代表しあいさつした伊舍堂用右氏は現役の教員で、現在は市内の小中学校で校長を務める。「用久は大叔父。遺族を代表し慰霊祭の開催に感謝する。今後の日本や世界を作っていく人材のため、できることを探していきたい」と決意した。
 石垣氏の親戚・菅沼ひかるさんは、同氏の姉の孫にあたる。「亡くなった方々一人ひとりに人生があり、家族がいた。私の子どもたちは、その悲しみを知らず、空から爆弾が落ちてくることもない。日本を守るために戦った方々に感謝し、何があったかを知った上で日本国民として生きたい」と涙ぐんだ。
 来賓の中山義隆市長は「戦争の悲惨さと平和の尊さを風化させず、次世代に語り継ぐことが、私たちの責務」、知覧特攻平和会館の川﨑弘一郎館長は「特攻隊員の皆さまの思いを胸に世界の恒久平和を祈念したい」と述べた。
 石垣駐屯地の中村康男司令は「先人たちが守り築かれた南ぬ島で、戦争を起こさせないため、常に地域とともに存在し、愛される駐屯地を目指す。国民の命と平和な暮らし、我が国や南ぬ島を守り抜くため、努力を惜しまない」と誓った。
 伊舍堂隊と親交があった前盛家を代表し前盛善宜氏は「若い隊長たちのおかげで、我々は生きている。後世に、継承していく」と決意を示した。
 慰霊式では、実行委による献酒や、駐屯地隊員によるラッパ曲に合わせた黙とう、献花、市議会議長あいさつの代読、献鶴献納も行われた。

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