中国、尖閣「自国領」認識なし 16世紀史料、新たに確認 領有主張の虚構浮き彫り 石井准教授

日本の朱印船時代の航路を記録した17世紀末の日本側文書「按針術」。尖閣諸島への航路が正確に記録されている(左)。講演する石井氏=22日(右)

 長崎純心大学准教授、石井望氏(漢文学・尖閣史)は22日、東京都内で講演し、16世紀末、日本の朱印船(豊臣秀吉、徳川家康時代の公認貿易船)が、中国福建省沿岸部を日中の境界線としていたことが当時の中国側史料で確認されたことを明らかにした。中国が当時から、尖閣諸島を自国領として全く認識していなかったことを示す新たな証拠となる。中国は尖閣諸島について「古来、中国の領土」と言明しているが、その主張が虚構であることが改めて浮き彫りになった。

 石井氏は1594年に当時の明が編纂した公式書「籌海重編」(ちゅうかいじゅうへん)を紹介。同書では、日本側の朱印船が福建沿岸の東湧(とうゆう、今の馬祖列島)を明の覇権が及ぶ境界線としたことが記録されていた。
 明は後の1617年にも尖閣諸島より中国寄りの西側に日中の境界線を設定し、日本に通告したことが、当時の文書「皇明実録」で既に知られている。
 石井氏によると、中国側史料で見られる尖閣諸島に関する最古の資料は、明の使者が琉球の役人の水先案内で尖閣に渡航したことを記す1534年の「使琉球録」。しかし同書では、そもそも台湾北方諸島と尖閣諸島とを区別していなかった。その後の史料でも、尖閣諸島らしいとされる「釣魚嶼」(ちょうぎょしょ)を台湾北方諸島の一つとして誤認し続けている。
 18世紀に入っても、1756年に琉球に派遣された大使全魁(ぜんかい)の渡海のさまを描いた清国の「奉使琉球図巻」で、尖閣諸島の位置を中国の国境線より東の琉球側に描いている。
 一方、日本の朱印船時代の航路を記録した世紀末の日本側史料、「按針術」(1696年、天理大学所蔵)には、尖閣諸島への航路が正確に記録されていることも石井氏の調査で新たに分かった。石井氏は「当時、中国側にはそもそも尖閣諸島に対する認識自体が存在しなかった」と指摘している。
 講演会は外務省の連携シンクタンク、日本国際問題研究所が主催した。
 石井氏は「『按針術』は、縦横両軸で尖閣の位置を捉えた衝撃的史料だ。今日は政府関係者や一流大学研究者ら満席の人々にこれらを披露できて幸いだった。今後も朱印船史料の研究を大いに進めたい」と話した。

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