【国境を撮る②】尖閣は「台湾統一」の主戦場 70年代、一方的に領有主張 中国

古賀辰四郞がスコップとつるはしで作った船着き場(上、1919年撮影)。現在(下、2004年8月撮影)、そこに人影はない

■日本人の開拓史がある国境の島・尖閣諸島の領有権を、突如として中国が主張した

 60年末に国連の海底調査団によって東シナ海に海底油田が存在する可能性が浮上すると、71年から突如、中間人民共和国(中国)が〝尖閣は台湾の領海にあり、台湾は中国の領土だから中国のものだ〟と荒唐無稽なことを主張し始めた。
 つまり、「日中間に領土問題は存在しない」というのが事実。向こうが一方的に「領土問題」を作ろうとしているだけなんだ。
 その証拠の一つに、1920年5月に中華民国から贈られた「感謝状」がある。
 1919年冬、福建省から船出した中華民国の漁船・金合丸が暴風雨に遭遇し、魚釣島に漂着座礁した事件が起こった。救助要請に応じたのは、古賀辰四郞の子息・古賀善次。彼が陣頭指揮を執って31人を救出、手厚く保護した。その後、遭難漁民たちは石垣島に送られ、半月余を経て台湾経由で故郷の福州(今の福建省厦門近辺)に無事帰還できたんだ。
 翌年、中華民国の駐長崎領事・馮冕(ふう・べん)から感謝状が贈られたが、そこには「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島(魚釣島の別名)」と明記されている。
 僕は1997年に石垣市役所の文書課で感謝状のコピーを見て対外的に発表した。でも当時は話題にすらならなかったよ(苦笑)。ようやく最近、引き合いに出されることも多くなったけどね。そして2005年には同課で、その遭難事件の顛末(てんまつ)が記された公電記録である39枚の外務省用箋も発見したんだ。

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