八重山文化研究会(崎原毅会長)の創立50周年記念講演会が19日、石垣市民会館中ホールで開かれ、1925年(大正14年)生まれの民俗学者、酒井卯作氏が「八重山研究 今昔~南島研究を振り返って~」と題して講師を務めた。65年前の54(昭和29)年に初めて八重山を訪れた酒井氏は「(当時は)助け合って生きていく、横のつながりの美しい時代ではなかったか。これが日本の古い姿かと思った」と振り返った。
酒井氏は柳田國男研究の権威で、現在は東京都練馬区で南島研究会を主宰するなど、沖縄との関りも深い。
現在の八重山については、東京の喧騒(けんそう)と比較し「昨年、約10年ぶりに来て、八重山はやっぱり人間の住む所だと思った。皆さんは幸せだと思う」とうらやんだ。
1928年(昭和3年)、八重山の舞踊団が初めて東京で芸能を披露した際、八重山芸能を恥とする沖縄本島の住民から強く批判され、八重山へ帰ろうとしたエピソードを紹介。
舞踊団は、連絡を受けた東京の柳田から「土地の人が歌って踊るのが本当の芸能だ」と激励されて本番に臨み、拍手が鳴りやまないほどの絶賛を浴びた。「石垣の踊り子たちは、カーテンの陰で涙を流した。八重山を低く見ていた本土の人たちは、生活に即した文化を分かっていなかった」と解説した。
54年の八重山訪問を「鹿児島から1週間に1回くらいの船で、那覇まで3、4日かかり、那覇から先島までの船が1週間に1回くらい。波照間島に行き、八重山がいかに遠い所か思い知らされた」と回顧した。