沖縄戦末期、八重山に駐屯した日本軍の指示で住民がマラリア有病地帯に強制疎開させられ、3647人が死亡した「八重山戦争マラリア」犠牲者追悼式(主催・石垣市)が23日、バンナ公園の慰霊碑前で開かれた。中山義隆市長は「戦争の歴史を正しく継承し、平和の尊さを子孫に引き継ぐため、慰霊と平和希求を今後も続ける」と追悼のことばを述べた。
戦争マラリアで母、姉、弟、妹を失った八重山戦争マラリア遺族会の佐久川勲会長(79)は「悲しみは今も消えない。地上戦に勝るとも劣らない戦争の惨状だった。戦争の教訓を正しく伝えていくことが私たちの大きな使命」と訴えた。
追悼式後、取材に「私たちはいつ死んでもいいが、子や孫にあの地獄は絶対に経験させたくない。戦争を風化させないため、どう平和学習を引き継いでいくか考えてほしい」と話した。
同遺族会の田本徹さんは、自作の鎮魂歌2曲を切々と歌い上げた。県八重山事務所の玉城葵所長が追悼の言葉を述べ、参列者が一人ひとり焼香した。表千家不白流沖縄県支部八重山が茶を供えた。
八重山平和祈念館によると、八重山戦争マラリアの罹患者は当時の人口の53.26%、犠牲者は21.6%に上る。