列島に衝撃を与えた1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故から12日で34年。航空機の単独事故としては世界最悪の520人が亡くなった。八重山の住民が沖縄本島や本土へ行くには航空機を利用するほかなく、空の安全は切実な課題として身に迫る。無事故への誓いを新たにするとともに、改めて命の重さを噛みしめたい。
事故は徐々に歴史上の出来事になりつつあるが、現在でもその後遺症は社会のいたるところに残っている。
今年6月には、日航機事故の遺族でつくる「8・12連絡会」事務局長の美谷島邦子さんが石垣島を訪れ、小、中学校で県内初となる「いのちの授業」を開催した。
美谷島さんは、事故で当時9歳の長男を失った。授業では、長男との思い出や、事故後の胸をえぐられるような悲しみ、そして「悲しみに寄り添う社会」の構築を呼び掛けた。「悲しみは乗り越えるものではない。心の中に悲しみの居場所をつくる必要がある」と現在でも悲しみと向き合う。
一方で「私は空を見上げることが苦手だった。今では、皆さんのような子どもの姿を見て、21世紀の大きなロケットや、飛行機も飛ばしてほしいと願っている」と、未来をつくる子どもたちに期待を寄せる。
2年前に石垣島で開かれた「南の島の星まつり」には、事故で犠牲になった歌手、坂本九さんの長女で歌手の大島花子さんがゲストとして出演し、命日に父への思いを歌い上げた。坂本さんといえば世界的ヒット曲となった「上を向いて歩こう」が有名で、脂の乗り切った43歳で未来を突然断ち切られたことは、芸能界の痛恨事だった。