沖縄のリーディング産業である観光業がはらむ脆弱性を、いやおうなしに思い知らされる年になってしまったようだ。48回目となる沖縄の復帰記念日は「令和」の始まりを祝った昨年とは打って変わり、重苦しい雰囲気の中で迎えることになった。
2001年の9・11テロの際は、米軍基地が多い沖縄は危険だという風評被害が発生し、基地のない八重山も含めて観光客が急減した。その後、官民挙げた懸命な活動で苦境を脱し、特に八重山では13年の新石垣空港開港をバネに、ようやく、観光の黄金時代が到来しつつあった。
それが降ってわいたような新型コロナウイルスの感染拡大で、島々から一気に観光客が消えた。まるで悪夢でも見ているかのような急展開だ。
観光は平和だからこそ成り立つため「平和産業」とも言われる。その意味では予感通りとも言えるが、沖縄観光に急ブレーキを掛けたのは、疫病との戦争だった。
本土や本島との人の往来が途絶え、報道は連日のように人命や経済の被害を伝え、住民はいつ、どこから襲い掛かってくるかも変わらない攻撃におびえ、自宅に立てこもる。まさに戦争状態であり、沖縄戦や戦争マラリアを経験してきた県民として、平和の尊さを改めて実感せずにはおれない。
政府の緊急事態宣言も解除の見通しが立ち、日常生活を回復するための歩みがゆっくりと始まっている。だが、その先に、かつてと全く同じ日々が戻ってくるとは考えにくい。国の専門家会議は「新しい生活様式」を提言しているが、個人だけでなく県レベルでも、少なくとも観光一本槍の成長戦略は見直さざるを得ないだろう。観光以外にも自立を可能にする武器はないのか、県民が思案を巡らす時だ。
観光にしても、県は特に中国をはじめとしたアジアからの誘客で経済成長を進める政策を推進してきたが、今後は、より国内客や長期滞在客を重視する路線が求められるのではないか。
国は本土に比べ社会資本の整備が著しく遅れた状況を改善するため、復帰の1972年から10年ごとに5次にわたって沖縄振興計画を策定してきた。内閣府沖縄担当部局の予算額は2019年度までに12兆8000億円に達した。
現在は第5次沖縄振興計画が実施されているが、21年度の期限切れは目前で、新たな振興計画策定に向けた動きが始まっている。
沖縄振興計画で最も成果が目立つのは県民生活や観光関連のインフラで、那覇空港第2滑走路が供用開始し、モノレール延伸や3両化が進んだ。だがコロナ禍のため、スタートダッシュでつまずいた格好だ。
一人当たりの県民所得も全国の約7割の水準にとどまり、経済的に他県に立ち遅れた現状は解消されていない。
2年後には復帰半世紀の節目を迎える。沖縄振興の総仕上げとも言うべき重要な時期だけに「コロナ後」を見据えた新戦略が欠かせない。