米短文投稿サイトのツイッター社がトランプ米大統領の投稿に対し、事実を確認するよう注意を喚起する「ファクトチェック」のラベルを付けた。これにトランプ氏は「言論の自由の弾圧」「巨大IT企業の検閲」などと猛反発し、大統領令などで対抗する可能性が取り沙汰されている。
米国ではトランプ政権になってから、巨大メディアやIT企業と、世界最強の権力者である大統領が正面衝突する構図が顕著になっている。後者は憲法で統制されるが、前者を抑制できるのは誰なのか。難しい問題をはらんでいる。
言論の自由に対する「弾圧」や「検閲」を公権力が行うことは、米国や日本など、あらゆる民主主義国の憲法で禁止されている。
だが私企業が利用者の言論を制限したり、思想を誘導するような行為をしても、ただちに違法になるわけではない。トランプ氏が「弾圧」「検閲」という言葉を使うことは、その意味では不適当かも知れない。
しかし私企業であっても、時には世界的な規模にまで巨大化し、公権力に勝るとも劣らぬ影響力を行使することがある。今回のツイッター社などは、現職の大統領の言論を抑え込むかのような力を発揮しており、これに該当する可能性がある。
その場合、私企業がトランプ氏とは言わずとも、庶民にとって言論の自由に対する脅威となることは十分に有り得る話である。そう考えると今回のツイッター対トランプ氏の闘争は、簡単には白黒をつけ難い。
ツイッターがトランプ氏の投稿に疑問符をつけたのは、常識的な判断と見る向きも多い。だが、そもそも政治家の政治的な発信について、一企業が価値判断を行うことは妥当なのか。差別的な発言など、ツイッター社が不適当と判断した投稿に対しては、ツイッターを利用不能にする「凍結」という措置が取られることがあるが「身に覚えがない」と批判するユーザーもいる。
一方、トランプ氏が示唆しているように、公権力がソーシャルメディアの行動を不適当と指摘し、規制に乗り出せば、それこそ言論の自由の弾圧と非難される可能性がある。
トランプ氏と巨大IT企業、どちらの肩を持っても「圧倒的な権力に対し、庶民は、どのように言論の自由を守ればいいのか」という課題は残る。
巨大IT企業や、地方で独占的なシェアを持つ大手メディアは、それ自体が公権力に匹敵する存在だが、公権力そのものではない。基本的には、利用者である一般の人たちが自らの良識を働かせ、その活動の是非を判定するほかない。
公権力からだけでなく、巨大化した私企業から、自由や民主主義をどう守っていくのかも、現代の私たちに与えられた課題だ。