【視点】満身創痍だが価値ある五輪

 東京五輪では八重山関係選手も活躍した。とりわけ印象深いのは、野球日本代表メンバーで石垣市出身の平良海馬選手が八重山勢初のメダリストになったことだ。それも金メダルである。登板機会は短かったが、世界の舞台で堂々と投球を披露した姿は、住民に誇りと感動を与えた。
 自転車男子ロードレースでは、石垣市出身の新城幸也選手が五輪3大会連続出場の偉業を成し遂げた。メダル争いには絡めなかったが「最高だった。これ以上できないというくらいのレースだった」と自ら語るさわやかな走りを見せた。
 レスリング男子グレコローマン77㌔級では、母親が西表島出身の屋比久翔平選手が銅メダルを獲得した。水球でも母親が石垣市出身の棚村克行選手がチームの要として役割を果たした。
 沖縄にとってのビッグニュースは、空手男子形で喜友名諒選手が個人競技としては県勢初の金メダルを手にしたことだ。
 金メダルが決まると、人目もはばからず狂喜乱舞する選手が多い中、喜友名選手は勝利しても表情を変えなかった。畳の中央で正座し、深々と一礼して競技場を去った。
 喜友名選手の所作からは、大会や自身を支えてくれた人への感謝や敬意、敗者へのいたわりなど、多くの選手が置き去りにしてしまったスポーツマンシップのあり方を考えさせられた。

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