マラリアの悲劇「忘れない」 西表島で3年ぶり慰霊祭

「忘勿石の碑」に黙とうを捧げる参列者=15日午前、南風見田海岸

 終戦記念日の15日、西表島南風見田海岸に建立された「忘勿石(わすれないし)之碑」前で戦争マラリア犠牲者の慰霊祭が開かれた。「忘勿石之碑修復・波照間島戦争マラリア犠牲者戦没者慰霊之碑建立期成会」や古見、大原両小学校、大原中学校の児童生徒らが参列し、歴史の継承と恒久平和を誓った。慰霊祭の開催は3年ぶり。

 期成会の内原勲会長は「77年前、この場所に波照間住民が強制的に疎開させられ、今ごろの時期に波照間への帰島許可が下りた」と述べた。波照間国民学校の識名信升校長が出発間際に「忘勿石 ハテルマ シキナ」と刻んでいたことを説明した。
 識名氏は戦後も沖縄の教育界で活躍したが、多くの教え子をマラリアで失ったことから、犠牲者への慰霊の心を持ち続けた。
 内原会長は「波照間島に帰島後に亡くなった人は552人もいる。島民のうち、10人に3人が亡くなった。マラリアは地獄だ。恒久平和を願い、この地から平和を皆さんと共に発信したい」と力を込めた。
 竹富町の前泊正人町長は「沖縄戦も終わりに近づいたころ、西表島の南風見田海岸では、戦争マラリアの惨劇が起きた。幼い子どもを含め、多くの人がマラリア有病地帯に強制的に送られ、り患した。多くの命が失われた」と指摘。現在でも世界中ではテロや紛争が続く中、戦争のない世界を築くべきと訴えた。
 前泊町長や内原会長、高良鉄美参院議員、波照間出身者代表の佐事昇さん、識名家遺族代表、小中学校の児童生徒、一般参加者が次々と献花。大原小の新城寛太君(1年)、古見小の林新君(6年)、大原中の金田八笑さん(3年)が詩や平和メッセージを読み上げた。

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