マラリア撲滅60年 記念碑建立、20日除幕へ 伊野田

ゼロマラリア達成の碑と説明板が建立された(同碑建立期成会提供)

 マラリアのまん延地帯だった八重山で1962年、世界に先駆けてマラリアが撲滅され、今年で60年の節目となることを記念し「ゼロマラリア達成の碑」が石垣市の伊野田農村公園に建立された。同碑建立期成会(仲原清正会長)が20日午後1時半から、記念碑と説明板を除幕する。

 期成会はマラリア撲滅から60年となる今年に先人の努力をたたえ、次世代と世界に偉業を継承・発信するため、寄付を募って碑を建立した。場所は石垣市桃里177―36。
 碑には「八重山ゼロマラリア 1962年達成」と刻まれている。
 説明板は琉球大の研究者らでつくる「チームヤエヤマ ゼロマラリア」(斉藤美加代表)がクラウドファンディングで資金を集め碑の隣に設置。マラリア撲滅の経緯が紹介されており、伊野田公民館に贈呈される。
 マラリアは蚊(ハマダラカ)によって媒介される感染症。説明板によると、戦時中は住民がマラリア有病地帯に避難したことで全住民の約半数とされる1万6884人がマラリアに罹患し、このうち3647人が死亡する「戦争マラリア」の悲劇が起きた。
 戦後、他島から多くの移民が石垣島に来島し有病地に入植したため、再び流行(移民マラリア)が起こった。沖縄を統治する米政府出先機関「USCAR、琉球列島米国民政府」は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の医動物学者ウイラー博士に依頼し、1957年に対策計画「ウイラープラン」が作成された。
 ウイラープランに従い、米国は特別予算を計上。現場の保健所職員が他国で効果が実証されていた蚊の防除役DDTの徹底した噴霧作業を行った。地域住民の協力もあり、1961年に西表島で確認されて以降、患者が出ていないため、翌1962年にゼロマラリアが宣言された。
 説明板では、地元出身の寄生虫研究者・吉野高善博士や保健所職員・黒島直規氏が残した患者データが戦後のマラリア対策につながったとたたえた。
 期成会は「世界蚊の日」とされる8月20日を記念碑、説明板を除幕する「記念式」の開催日とした。当日は除幕後、マラリア特効薬キニーネの原料になるキナノキが沖縄美ら島財団から期成会と八重山農林高校に贈呈される。

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