沖縄は23日、戦後80年の慰霊の日を迎えた。県は平和祈念公園で全戦没者追悼式を開き、恒久平和の願いを内外に発信した。凄惨な沖縄戦の記憶を次世代に継承し、不戦の誓いを新たにした。
だが沖縄を取り巻く国際環境は年々厳しさを増している。中国が軍事力を拡大し、台湾や石垣市の尖閣諸島周辺で威嚇的な行動を強めている。
今月も中国空母2隻が太平洋で初めて同時に活動し、沖縄の目と鼻の先でも戦闘機の発着艦を繰り返した。政府は先島諸島に戦火が及ぶ可能性を懸念し、全住民の九州避難計画を立案している。
沖縄周辺だけではない。ウクライナでは、いまだにロシアの侵略がやむ気配がない。中東では米国がイラン攻撃に踏み切った。まさに国の数だけ正義がある。国益を軍事力で貫徹しようという動きは、世界各地で年々露骨になりつつあるように感じられる。
沖縄が将来も平和な島であり続けられるのか。残念ながら戦後80年の今、私たちは十分な確信を持ってその答えを出すことができない。
こうした時代にあって、重要なのは歴史の教訓を改めて振り返ることだ。日本は80年前、軍部主導の誤った国策に基づいて戦争に突き進んだ。沖縄では住民保護を軽視し、沖縄での防衛戦で軍民混在と呼ばれる最悪の状況を作り出し、約10万人の一般県民が犠牲になった。
私たちは二度と戦争を起こさない。不戦の誓いとは、日本が再び軍国主義に傾斜し、国際協調を軽視して無謀な戦争に突入しないよう自らを戒める趣旨だ。
だが現在は、日本が自国の軍国主義復活を警戒すれば事足りるという国際情勢ではない。日本の周辺に、軍事力行使をちらつかせて他国を恫喝する国々が存在し、ほかならぬ沖縄も、その軍事的野心の対象にされている。
日本は不戦の誓いに加え、無法な他国に対し、二度と戦争を起こさせないという決意も併せて必要である。自衛隊や日米同盟はそのために存在する。
沖縄が広大な米軍基地を抱えることで、日本全体の安全保障の代償を背負わされてきたことも事実である。こうした不条理はもはや看過できず、米軍基地の整理縮小と基地負担の軽減は着実に進めるべきだ。
だが一方で抑止力の維持や国防の重要性も考慮しなければ、沖縄自身の安全が危うくなることも自覚しなくてはならない。
現在の県政は、沖縄の基地負担軽減は自衛隊の整理縮小とセットで考えるべきと主張する。こうした考え方は、他国の軍隊である米軍と日本のシビリアンコントロール下にある自衛隊を混同するもので賛同できない。自衛隊の活動基盤を強化し、自国は自国で守るという根幹を確立してこそ、米軍基地の整理縮小を進めることが可能になるからだ。
80年前に非業の死を遂げた先人たちは、子孫が二度と同じ苦しみを繰り返さないことを何よりも願っているはずだ。だからこそ「不戦」を誓うだけでは平和は守れないという現実に目を向ける必要がある。