特攻74年 思い馳せる 伊舍堂用久中佐と隊員慰霊 顕彰碑前 

伊舎堂用久中佐と隊員の慰霊祭で読経する伊舎堂用八氏(中央奥)と前盛喜美子さん=26日午前、顕彰碑前

 石垣島出身の伊舍堂用久中佐(戦死時大尉、二階級特進)ら10人が沖縄戦の陸軍特攻第一号として石垣島白保から出撃して74年となる26日、南ぬ浜町の顕彰碑前で慰霊祭が開かれた。慰霊祭実行委員会の三木巖会長(77)は「20代前後の人が国を思って特攻したことは尊い。郷土の偉人を語り、しっかりとその心を受け継ぎたい」と、先人を顕彰し、遺志を継承する決意を述べた。

 伊舍堂中佐と隊員の慰霊祭 慰霊祭には同委員会、特攻隊員の資料を保存・展示している知覧特攻平和会館(朝隈克博館長)=鹿児島県南九州市=、自衛隊沖縄地方協力本部石垣出張所などの関係者ら約50人が参列。三木会長と朝隈館長が献花し、中佐の甥・伊舎堂用八氏、白保で中佐の宿泊所を提供した前盛家の前盛喜美子さんによる読経の後、参列者全員で御霊の冥福を祈った。
 遺族を代表して用八氏(81)は「私も命ある限り、家族の参拝を途切らせないよう伝えていく」と述べた。
 朝隈館長(57)は「特攻隊員一人ひとりに異なる人生と人生観がある。丁寧に向き合うべき」と、一括りのイメージで語られがちな特攻隊像の誤りを指摘。「家族、国、部下を思い、軍人としての矜持を貫き通した中佐の生きざまを、未来永劫、語り継いでいく」と誓った。
 同会館で「語りべ」をしている桑代照明参事(62)は、当時特攻隊の身の周りの世話や見送りをした「なでしこ隊」を紹介し、「悲惨な出来事があったと後世に語り継いでいく」と強調した。
 中山義隆石垣市長は「修学旅行生などに尖閣諸島周辺を含めての国際的情勢を理解してもらいながら、平和をどう守るかを学んでほしい」と訴えた。
 また、医療法人がんじゅう会ヒデ整形クリニック(坂元秀行理事長)から伊舎堂家に特攻隊の絵が寄贈され、絵を用八氏に手渡した我那覇真子氏のあいさつもあった。
 慰霊祭は、解散した「伊舍堂用久中佐と隊員の顕彰碑建立期成会」の元会員らが遺族らとともに主催。2013年8月15日に顕彰碑が建立されて以来、毎年開催されている。

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