【青年弁論大会】本土と沖縄が紡いできた歴史

 これにより現在の問題につながる課題も残しました。この沖縄の苦難に最も心痛めている方がおりました。それは昭和天皇と上皇陛下です。昭和天皇は1945年の敗戦後、沖縄に対して想いを寄せられていました。昭和天皇は終戦後、戦争で苦労された方々を労うために各地へ行幸されました。しかし唯一行くことができなかった場所、それが沖縄でした。
 晩年沖縄に足をお運びになれるチャンスがありましたが、ご病気を患い、その夢は叶わないものとなりました。昭和天皇はその悔やむ想いを御製いわゆる和歌として遺しました。「思わざる病となりぬ沖縄をたずねて果さむつとめありしを」。計り知れない無念な想いが昭和天皇にはございました。
 そのお気持ちは4月末譲位された上皇陛下に引き継がれました。陛下は1975年7月皇太子時代に、美智子様とご一緒に初めて沖縄に来訪されました。その際殿下の沖縄訪問に対して反対をする過激派から火炎瓶を投げつけられるテロ行為に遭われました。幸いにもお怪我はございませんでしたが、一歩間違えば本土と沖縄に大きな溝ができかねない重大な事件でもありました。
 しかしこのような一大事に見舞われても、即位後も沖縄に行幸し、沖縄の人々に想いを寄せられています。これは昭和天皇と上皇陛下は沖縄も大御宝の一員であるとお示されているとお姿なのです。
 このようなさまざまな経緯や歴史を紡ぎながら、絆を深めていった流れがあります。事実2017年沖縄タイムス・朝日新聞による沖縄県民への調査で「日本へ復帰して良かった」という質問に対して「よかった」が82%と圧倒的に支持されている結果が出ました。特に18歳から29歳までの支持率は90%、30代でも86%と若年層世代は好意的に捉えています。つまり次世代を担っていく沖縄の同世代は「沖縄は日本の一員である」と意思表示をしています。私も沖縄の同世代にレスポンスをしたいと思います。

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