【視点】死去1年の翁長氏、功罪相半ば

 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対した翁長雄志前知事が死去して8日で1年が経過した。知事としての任期は4年足らずと短かったが、県政史上、功罪相半ばする大きな足跡を残したことは間違いない。
 辺野古沿岸の埋め立て承認取り消し、国との法廷闘争、国連人権時理事会での演説など、精力的な「反辺野古」活動を通じ、本土住民に米軍基地問題の深刻さに対する認識を改めさせた。
 良くも悪くも反基地の象徴的な存在となり、一自治体の首長でありながら、安倍晋三政権と正面から対峙する姿勢は、内外の熱い視線を集めた。
 一方で政府との関係は急速に悪化し、沖縄振興予算は減額傾向が続いている。安倍政権との関係が良好だった仲井真弘多元知事時代に政府が約束した振興予算の3千億円台、那覇空港第二滑走路や離島の港湾整備などは継続されたが、翁長時代に国との連携で実現した大型プロジェクトはない。自民党は「現在の好景気は仲井真氏の時代にまいた種が実ったものだ」と主張する。
 日本の一自治体と政府の関係が「対立」という言葉で表されるのは沖縄だけだ。国とのねじれた関係がこのまま続けば、ボディブローのように振興策への悪影響が出かねない。
 在職中に病死したため、命懸けで辺野古阻止を貫いたかのように評価されることもある翁長氏だが、県議時代は辺野古移設を推進する立場で、のちに政策を転換した。
 那覇市長時代、「保守でありながら辺野古に反対」という特異な姿勢がメディアの注目を浴びるようになり、反辺野古の保革共同体「オール沖縄」の立役者として、一気に沖縄政界のトップに躍り出た。

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