米軍普天間飛行場(宜野湾市)に所属する大型ヘリが隣接する沖縄国際大(前津栄健学長)に墜落して15年目を迎えた13日、同大は学内のヘリ墜落現場モニュメント前で「普天間基地の閉鎖を求め、平和の尊さを語り継ぐ集い」を開催した。学生や職員ら約120人が参加。同飛行場を使用する航空機の即時飛行中止を政府などに要求し、声明文を発表した。
焼けたアカギの木が残る現場跡地で、発生時刻が近づく午後2時ごろから、集会は始まった。
前津学長(63)は「米軍ヘリ墜落事件の惨事の記憶を風化させてはならない。危険この上ない普天間飛行場を即時閉鎖し撤去することを、日米両政府に強く要求する」と強調。相次ぐ米軍機の部品落下や、2016年12月の名護市安部海岸へのオスプレイの墜落、17年10月の東村牧草地に輸送ヘリコプターの不時着などに触れ、「沖縄の安全安心、平和が脅かされている」と強い危機感を示した。
同大経済学部経済学科4年の宮城あゆみさんは意見発表で「基地の学習を小中高で実施することで、基地問題を考えるきっかけになる」と提言し、「基地返還は沖縄経済にプラスの影響を与え、沖縄を活性化させていく可能性がある。ヘリ墜落事件をきっかけに、もう一度基地問題について考えてみては」と問い掛けた。
事故当時5歳だった地域環境政策学科3年の平安山良斗さんは事件当時の新聞記事で「県外のある新聞の一面はオリンピックの記事で、沖縄と県外とで温度差を感じた」と話し「沖縄の当たり前の日常の中に基地がある。県外の人たちは沖縄にこんなにも多くの基地があるのを知っているのだろうか」と切実に語りかけた。
集会後、事故を知る教職員に学生がインタビューした映像を室内で上映。証言者は、墜落時に体が持ち上がるほどの衝撃を受けたことや、爆発音が響いていたことを回想した。同大では、関連行事として同事件のパネル展や資料展示なども行っている。
事故は2004年8月13日に発生。ヘリは同基地を離陸した後、同大の本館に激突。乗員の米兵3人が負傷した。
人口密集地に広がり「世界一危険な米軍基地」とも称される普天間飛行場は、23年前に日米双方が返還で合意している。ただ、県内で代替施設を用意することが条件となっており、日本政府は名護市辺野古沿岸部で移設工事を加速させている。