「沖縄の人が日本の歴史的事件に参加することで、沖縄と本土の空隙を埋められるのでは」―。そんな思いから1970年、作家・三島由紀夫が結成した民間防衛組織「楯(たて)の会」に入り、三島との決起を夢見た琉球大の学生がいた。楯の会唯一の沖縄出身者、山城重雄さん(70)=浦添市=だ。23日までに八重山日報の取材に応じ、半世紀越しに当時の思いを初証言した。
1960年代後半、沖縄でもマルクス・レーニン主義を掲げる学生運動が激しさを増していた。国頭村出身で、琉球大では少数派の保守的な学生グループに属していた山城さん。学生運動に対抗する理論的な指導者を求め、高名な三島との接触を決意した。大学を休学して上京し、知人を介して楯の会学生長の森田必勝や三島に会い、70年3月に入会した。
「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」(三島の檄(げき)文)ため、自衛隊の国軍化を訴えていた三島と楯の会。しかし山城さんには、それと同時に違う志もあった。
「民族とは歴史の共有である」。そう考えていた山城さんは、かつて「琉球王国」だった沖縄が、本土と歴史を共有していない矛盾に直面。「自分は日本人なのか」という疎外感に悩んでいた。