【視点】人頭税の歴史と離島差別

 うえちさんが惚れ込み、著書まで執筆した中村十作は新潟県に生まれ、1892年(明治25年)、真珠養殖事業のため宮古島に渡った。そこで人頭税に苦しむ農民たちの姿を目の当たりにし、人頭税廃止運動に身を投じた。
 1893年(明治26年)、当時の士族や役人たちに妨害されながら、城間正安ら地元住民3人とともに上京して政府に人頭税廃止を請願。翌年には帝国議会にも請願書を提出した。
 上地さんは「中村は日本のリンカーンだ」とたたえ、人頭税廃止は米国の奴隷解放にも匹敵する歴史的な偉業だと主張する。
 離島差別とは何か。沖縄振興策はまず人口の多い本島から優先して実行される。人や物の流れは当然に便利な沖縄本島へ向かい、離島の過疎化は自然の摂理とされる。離島で大きなイベントがあっても知事は現れず、たいていは副知事や部長が代理出席する。
 沖縄本島の住民にとっては当たり前のこと、些細なことと思われている一つひとつの現象が、実は離島住民の不満を鬱積(うっせき)させている。
 「沖縄41市町村の中で、離島だけ特別扱いできない」と反論されそうだが、条件不利な離島を「平等」の枠の中に押し込めることが既に強者の論理ではないか。
 本土と沖縄の関係で語られる差別が、本島と離島の間でも、同じような構図で厳然として存在する。しかも皮肉なことに、近年の基地問題を契機にして、本島が本土に対し「沖縄差別」を訴えれば訴えるほど、本島の「離島差別」もまた浮き彫りになる。
 沖縄本島の人と話すと「この時代にまだ『離島差別』などと言っているのか」と呆れた口調で反論されることもある。差別の存在すら意識されない現状に、この問題の根深さ、深刻さを痛感させられる。

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