困難越えたどり着いた祖先 3万年前の航海報告会 石垣ロータリークラブ

「海を渡ってきた最初の八重山人~丸木舟の実験航海からわかったこと~」に訪れた市民ら=11月30日午後、アートホテル石垣島「八重山の間」

 3万年前の航海徹底再現プロジェクト報告会「海を渡ってきた最初の八重山人~丸木舟の実験航海からわかったこと~」(主催・石垣ロータリークラブ)が11月30日午後、市内ホテルで開かれた。プロジェクトの代表を務めた国立科学博物館の海部陽介人類史研究グループ長は「僕たちは島の位置や海流の知識もある。3万年前の人はそうではない。ではどうやって行ったのか。謎が残る」と振り返り、「これが宮古―沖縄間になると、もっと難しい。八重山の人々の祖先は更なる困難を越えた人たちだ」と語気を強めた。

 報告会では海部氏がプロジェクトの契機や2016年以来の草束舟、竹筏舟、丸木舟での試行錯誤などを紹介。航海を達成した7月7日からの3日間、漕ぎ手として台湾から与那国島までの約45時間、225㌔の航路を「漕破」した村松稔氏に状況や心境を尋ねた。
 海部氏は▽黒潮を越える▽与那国島を見つける―という2点のポイントを指摘し、「黒潮は見えない。抜けた時には舟の推進力が勝り東に向かった。そのまま黒潮に乗って行けば与那国島を外していた」と航海最大の危機を説明。地図や海流の知識を基に立てた事前計画で出航の24時間後に北東に進むと決めていたため難を逃れたという。
 村松氏は「夕方には北風が吹くし、舟に水が入ってきた。汲み出さないと沈没するので必死だった。大海原にぽつんといる感覚だったし、イライラして仲間と険悪になったりしたが、本当に仲間がいると心強く励まし合った」と振り返った。漕ぎ手で唯一の八重山、与那国在住の村松氏は「(到着後)目の前の海は、こういう挑戦があったことを実感した」と感慨深げに話した。
 報告会後の取材に海部氏は「宮古―沖縄本島間に比べたら僕らは簡単な方だ。今回は黒潮があってスピードも出たが、時速3・9㌔の丸木舟では(宮古海峡で)長大な時間が掛かる。ずっと島も見えないし、変な流れがあればアウトになる。白保人の祖先はこれもやっている」と強調した。「次は宮古ですか」との質問に「舟はしばらくは」と笑顔で答えた。
 来年3月頃には与那国島の灯台近くに記念碑を建てる予定で、同博物館では航海の3DVR映像を来春公開するという。
 会場には市民ら約100人が訪れた。

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