沖縄開発庁長官などを歴任し、沖縄・八重山振興に大きな足跡を残した故・山中貞則氏の生誕百年となった9日、「偲(しの)ぶ会」が八重山家畜市場のオウシマダニ撲滅記念碑前で開かれた。中山義隆石垣市長らが参列し、八重山の肉用牛振興や沖縄の本土復帰に尽力した山中氏の功績をたたえた。
1970年の佐藤内閣で総理府総務長官に任命された山中氏は、72年に初代沖縄開発庁長官に就任。八重山地域では肉用牛繁殖で長年障害になっていた、オウシマダニの撲滅などに尽力した。
中山市長は「現在の畜産業の振興発展には、先生が足しげく八重山に通い、関係機関に指導し、常に県民の自立を促した背景がある。今一度教えを胸に刻みたい」と式辞を述べた。コロナ禍で打撃を受ける経済の回復も誓った。
山中氏が国庫補助事業を用いて体制を強化し、オウシマダニの駆除作業を継続した。ダニは1998年に根絶され、八重山は広大な面積を武器に畜産地域として発展を遂げた。
12代県八重山家畜保健衛生所長だった那根元さん(81)は「八重山は草は伸びるがダニのせいで牛が太らず苦労した。繁殖コストの低いこの地域に目を付けた先生のおかげで、今では全国でも指折りの畜産地域となった」と振り返った。
山中氏は約630本もの特例法を作り沖縄の本土復帰を後押しし、軍用地料賃貸問題の解決にも多大な功績を残した。鹿児島県出身で、薩摩藩の琉球侵攻に対する贖罪(しょくざい)や、沖縄戦を経験した県民への思いから、沖縄振興に政治生命の大半を費やしたという。
1975年には竹富町名誉町民に推挙された。西大舛髙旬町長は「衆議院初当選から半世紀にわたり多くの役職を歴任し、八重山郡内に希望を与え、竹富町発展の基礎を築いてくれた。先生がいない今、存在の偉大さをしみじみと感じる」と語った。
山中氏は2003年に沖縄県名誉県民(第1号)となり、翌年2月に享年83歳で逝去した。
鹿児島県曽於市にある「山中貞則顕彰館」には「沖縄の本土復帰、消費税導入、畜産振興」に関する資料が展示されており、山中氏の政治手腕や人間性に触れることができる。